GOです。
『傍観者』
私達は、人生の中で
『傍観者』になることがある。
(研修の学びから)
『傍観』は、そばで何もせずに見ているという意味の名詞です。
意味の中で特に重要なのは、「何もせずに」の部分です。
ある事柄に対して興味はあるものの、
積極的には関わりたくないという様子を表す場合に用いられます。
つまり、「そばで見ている」といっても応援したり
何かアドバイスを送ったりするわけではなく
『傍観』はただ単に見ているだけというわけです。
これは、不安、恐れ、恐怖、を感じた時にも
『傍観者』になってしまう。
例えば
いじめを傍観していた傍観者は、
自分が助けたら次は自分だという恐怖がある。
銀行強盗が行われるのをただ傍観していた。
これも恐怖からかもしれない。
また、
勉強会の質問タイムをただ傍観していた。
能力の高い人とのミーティングをただ傍観していた。
部下を育成せずただ傍観していた。
自分の行動力が問われているのにただ傍観していた。
(傍観者になることで安全地帯にいる自分)
プライベート・ビジネスで
『傍観者』になることで、
時には自分も被害者になることがある。
そうならないためにも、
自分が『傍観者』になっていないかの確認をする。
『傍観者』でいるよりも、
自分から行動して何かを変えた方が良い。
一度の人生、二度ない人生
人生の『傍観者』になる・ならなは、
自分が決めている。
傍観者に成果はない。